ちょっとした八つ当たりだよ



相変わらずにヨコハマという町は落ち着きがない。
モダンでレトロなレンガの建造物やら、歴史ある佇まいを堪能できる一角もあれば、
今どきの流行をキラキラしくまとった若人が闊歩する繁華街やレジャーポイントも多数。
活気があると言えばよく聞こえもするかもだが、
華やかない賑わいのすぐお隣、陽が陰ればどこからともなく喧騒のカラーが塗り替わり、
場末の路地裏にたむろする半グレだのチンピラ未満がしょむない騒ぎを起こすわで。
一応はそちらもそちらなりの歴史がある土地ゆえに、
パワーバランスの礎、しきたりや縄張りなんてな“常識”を一から叩き込む手間も増えた。
関係筋になったわけじゃあない輩でも、
不祥事を起こした者が出れば、なわばりの管理がなってないぞとの突き上げを食らいかねないため、
けじめという“しめし”はつけねばならずで、

「あんのスブタが、手間ぁ取らせやがってっ!」
「兄貴、それも言うなら“すべた”です。」

苛立ちをそのまま表してのこと、足元の空き缶を全力で蹴飛ばしつつの怒号を放てば、
律儀なのか揚げ足取りか、弟分の軽やかなツッコミへ、
あぁあ"?と歯ぎしり混じりに低い声で唸ったのもどちらかといや若い衆。
反社の界隈にも実は厳格な決まりごとがあるものを
恥知らずにも踏みにじった常識のない構成員だか関係者だかがいたらしく。
一時的なそれながら、しばらくは抗争は無しよとの手打ちをした関係先との約定を踏みにじり、
相手のシマで勝手なことをした半グレが何人かいて。
一応、数人ほどの顔ぶれが“世話になります”と挨拶してきたので後ろ盾となって優遇してやっていたというに、
イマドキ仁義なんて知ったことかと小馬鹿に構えたチャラい馬鹿のみならず、
それの連れの女性が輪を掛けて常識のない暴走をしたようで。
身内の中でだけの揉めごとなら2,3発殴って消息不明と持ってって終われようところ、
よその組織…というか 洒落にならない関係筋を巻き込みかかっているらしいことが判り、
こっちは錯綜するあれやこれやを考慮しているがため、
ややこしい事態へもつれ込みかかっている現状へ手古摺っている真っ最中。
そんな顛末を前にして、
若い衆を束ねているポジション、主任格の兄貴が歯噛みしており、

「どんな半端な奴でも、余計な筋に紐づけされてちゃあ迂闊に手も出せんよな。」
「……っ。」

白々しい居留守を使って応答がない潜伏先、安アパートを忌々し気に睨んでいた面々へ、
唐突に予想外なお声が掛かる。
荒療治で数に任せての突撃かましても良かったのだが、
相手が無理から駆け込んだ先の安普請な建物には、
当事者だけじゃあない、
こわもてな筋へちょっとした曰くというか縁というかがある人物も居合わせているそうで。

「サークルのお友達とかいう縁らしいが、
 LINEでしか繋がっとらんのじゃあ相手の素性も全部は判らんわなぁ。」

その辺の事情を先んじて拾ったらしく、
早まって手を出すとややこしいことになるよとの忠告をくれた人。
昼間の往来に立ってたって遜色はなかろう、
手入れの行き届いた身なりに理知的な深みのある表情を保つ男性がいる。
少々危険そうな顔ぶれが数人ほど集まってた場へ、いつの間にか現れている辺りの気配の操りようが、
ただものじゃあないということをも示しており、

「征樹の兄貴。」

兄貴と呼んだが肉親ではない。
組織内での先輩格であり、直近の相手なので気さくにそうと呼んでいいとされているお人らしく。
フルネームは佐伯征樹といって、自身が仕えている幹部様からも一目置かれている出世株。
その幹部様の薫陶よろしくというやつか、部下想いだし気さくで朗らか。
だがだが、任された案件へは綿密周到で、
何より喧嘩も強けりゃ冷酷な仕置きも辞さない、この世界流でも凄腕の頼れるお人であり。
ひと頃よりは陽が長くなったとはいえ、それでもすっかりと日暮れも過ぎた宵闇の中、
ダークスーツを粋に着こなす兄貴格の御仁が不敵に笑って続けたのは、

「“お嬢様”への案じはいらん。」

それは端的に けろりとそう言い、
そのまま背条を弓なりに伸ばしてみせる。

「え?」
「ですが…。」

彼の言う存在だろう、お嬢様のような風体の存在が入っていったのに?と、
それで機先を制されて、手出しが出来んと臍を噛んでた彼らだってのにと、
怪訝そうに首をかしげる面々へ、
多くは訊くなと一刀両断、切って捨てるでなし、
むしろちょいと困ったように口許をたわめてから、

「というか、そこから出てくる“顔見知り”へ、出来れば知らない人扱いしてほしいんだがな。」
「???」

ますますと訳の分からん言いようを付け足したのだった。



     ◇◇


陽が落ちてもそれほどの極寒ということはなく、
ツイードのコートにハーフブーツといういで立ちで、
こそこそと安っぽいアパートの一階の一室にその身を運んだ人影は、
ほっそりとしたシルエットといい、
柔らかな髪をうずめた襟元の細さや、薄化粧をした口許の艶っぽさといい、
二十歳になるかならぬかという年頃の、品のいいお嬢様然として見えたれど。

 「いい度胸してやがんのな。
  反社組織につけ回されながら、
  いいとこの嬢ちゃんに金持ってこいなんて呼び出し仕掛けるとはよ。」

 「な…っ。」
 「あんた、カスミちんじゃないねっ。」

待ち人来たれりとほくほくと出迎えた逃亡者カップル、
化粧は派手だが安っぽい肩出しニットのワンピース姿の女が相手の顔を見てギョッとした。
背格好は遜色なかったものの、スカーフに覆われていた髪は鮮やかなほど赤かったし、
室内に灯していた明かりの下で晒された顔立ちは、知っている少女のはんなりとした令嬢顔ではなく。
龍眼とも呼べそうなほどにきりきりと吊り上がった青宝玉の双眸に、
酷薄そうに笑った口許が何とも迫力のある、いかにもな鉄華肌風の美人さんだったからで。
しかも…顔を上げつつ放った啖呵、それを紡いだお声は低く、
猛禽の喉奥からの唸りのようで。
それを聞いて、今度は男の側がギョッとして肩をこわばらせる。

 「まさか、ポートマフィアのお人じゃあ?」
 「へぇ? さすがに知ってはいたかい。」

姑息な手合いというものは、
常識とかルールとかいうものへはあれこれ手を抜きいい加減だが、
ここだけはしくじっちゃあならないものだけは周到に押さえている。
若い構成員らにウケのいい兄貴格、
だがだが、実力はさすがの五大幹部で、その身に宿した異能というのがべらぼうであり、
武装していずとも、その身一つで高層ビルを根元から薙ぎ倒した伝説があるとか聞いている御仁。

 「ま、まさか、…な、中原中也、さ、ん?」
 「ほほぉ、情報通じゃねぇかよ。」

肉薄の唇をにやりと釣り上げて笑ったお顔、
事情を知らねばそりゃあ迫力のある姐さんにも見えたろが、
選りにも選ってお嬢様になり替わり、アパートに乗り込んだのは、
ポートマフィアが世に誇る核弾頭、
史上最強とまで噂されている重力の異能を操る若き幹部様ではないかいな。

 『困ったことになっててねぇ。』

エリス嬢が仲良くしているご令嬢が、とんでもない事態に巻き込まれているのだよと、
首領の鴎外から直接語られたのがほんの半時ほど前のこと。
結構重要な取引をお釈迦にし、双方の幹部格の顔を潰す格好で逃走した二人の追跡はさほど難しくはなく、
すでに居場所も押さえているというのだが、

『数に任せて取っ捕まえればいいのではないですか?』

マフィア得意の人海戦術を繰り出せばあっという間に片がつこう。
遠隔地の話じゃあなし、それこそ同盟結んでいる顔ぶれにも助力を仰げば、
世間どころか周辺にでさえ気づかれることもなく、
潜伏先だという安アパートごと灰燼に帰すのも容易かろうにと。
難しい案件じゃあないでしょう?とわざわざ尋ねたのは、
難関となっているご事情をお聞かせいただけますか?という“振り”であり。
執務室で向かい合う年齢不詳の首魁殿、困っているという割に口許にはうっすらと笑みをにじませ、

『それがそうもいかなくてね。』

というのも、女から呼び出されたお嬢様がいる。
名を聞けば結構有名な企業が出てこよう、大財閥の跡取り娘で、
そのご息女様、世間知らずにもほどがあり、
初めて参加したサークルのコンパで息が合ったというだけで、
ろくに素性も知らない女へ親友認定をし、
自分を訪ねて来やすいようにと、
祖母から頂いた由緒あるペンダントを
屋敷に来る時の身分証にしてねと渡していたというから恐ろしい。
時価何百万するかという宝石がついていた逸品だったし、
それより何より、それはご当家の令嬢の所持するものと知れ渡っているので他で悪用されたら一大事。

 『単に鑑定眼があるかなしかではなくて、
  マイクロチップがはめ込まれていて、
  それなりの機器でスキャンしたらお嬢様の履歴が出る仕様になってるらしい。』

一体何が起きて丸め込まれたのやらで、
人を信じるのは悪いことではないけれど、
親切ごかしのその陰で巧妙に旨いところだけかすめ取るような、性根のひねた者もいると。
さすがに教えとかないとと思ったのだろう親御と側近たちだったようで。
それをその目その身で学ばせようということか、
一部始終を身代わりとして潜入した幹部殿が身に付けていたライブカメラで伝えられ。
返しておくれと迫ったら牙を剥いた“お友達”が、
それは見苦しい形相になって襲い掛かって来たれども、
同世代の少女に見えた身代わりさんに武道か何かの技でだろうあっさりと返り討ちにあったその上、
指を差すだけで懐へねじ込んでいたペンダントを引きずり出すと、
その指を頭上へと突き上げたそのまま
何故だか唐突に崩れてきた天井の下敷きになった様相までもを見せられて。

「ほれ。おばあさまがお守りだと下さったのだろう?大事にしないとな。」

それは平然と、コートもワンピも髪にさえ、埃一つつかぬ無傷で車の傍らまで戻ってきた“少女”が
大事なペンダントを手渡ししてくれたことで、お嬢様の社会勉強は終了で。
しょんぼりと憔悴している彼女に代わり、
ボディガードか教育係か、付き添っていた男性が会釈をしたのを合図に車は発進してゆく。
背後で 連中を引きずり出せ、現場の後片付けだと慌ただしく動き出してる面々には目もくれず
大きめの外套を広げて歩み寄って来た部下が、ガウン代わりにそれで肩を覆いつつ声を掛けて来。

「………幹部、着替えますか。」
「   ったり前だ。」

ペンダントという小さなものを取り戻すことが最優先だったため、
銃撃でにせよ異能でにせよ、
いきなりアパートを崩壊させるというわけにもいかず。
そうかといってややこしい搦め手を仕組んで時間を喰うのも馬鹿々々しい。
一刻を争ったのはお嬢様を長々と待機させとくわけにもいかなかったためで、
さすがの芝居っ気と異能の技よ、あっさり片を付けたはいいが、
しょむない変装という小芝居を構えた段取りが何とも業腹な幹部殿。
極秘任務とした短期集中決戦終了に、それはもうもう苦々しい想いを滾らせておいでの彼へ、
他に知る者はいないよう、手筈を整えた側近の佐伯殿。
ここまでを案内して来たボックスカーへといざない、
乗り込まんと擦れ違ったその瞬間にぼそりと告げられた目的地まで、

 「あ、報告のあとでいいですか。」
 「おうよ。」

お送りして差し上げる約束をしたのであった。


 
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